「世間の声は無責任だからというお話について」
最近世間というのがほんとうにしょうもないので、その世間という目についてはっきりいってそこまで大切ではないってことを話していく。
別に安全と社会を脅かせということじゃない。お前の進むハンドルを他者に安易に預けるなっていっているのだ。
どういう生き方をして誰を満足させるかはお前が選んでいいんだぞってことをもっと言いたい。
人生に置いて、どう生きたところで、お前のすることに肯定する奴も、否定する奴もいる。だから、お前がどうしたいかという、動機が大事で何をやるかというのが大事である。日本だと芸人の江頭2時50分が言った「99人に嫌われても1人が笑ったらそれで勝ちじゃねえか!」
「死にたいと思ってもこれを観てばかばかしいと思って笑え」
だったか。これと同様だとおもう。
「50%の人間はお前を愛す、50%の人間はお前を嫌う。キリストですら人々に嫌われ拷問をうけた。私は家族と私の選手に愛される為に生きている。それ以外はクソ喰らえ。」
これはサッカーのスーパー代理人「ミノ・ライオラ」
これも同様のことを言っていると思っている。
総じて言いたいのは、嫌われることをそこまで恐れるなってことだ。絶対合わないタイプの人もいるし、それとは離れればいいし、合うやつとそのうち出会って仲良くデキる人と付き合えばいい。
そして、こうやりたいと決まったら、自分が表現し愛され、与える人に答え続けることだ。僕なら、ブログや、動画等の創作物で満足してもらえるように制作している。
皆はどうだい。