2024/10/07 月曜日「人の意見を聞くということ」
おはようございます。自分も他者もすぐ傲慢になったり、違う意見の人はすぐ敵だと認定して、攻撃する人がいますね。
それは人間の防衛反応でもあるし、どちらが上か下かっていう弱肉強食のとても偏った物の見方です。どの組織や集団でもしばしばあることですけどね。
例えばですけど、相手が気にくわないとか、好きじゃないとか嫌いとかは理解はできます。それを=相手がこの団体や、組織に属しているからここが悪いっていうのはあまりにも極論です。その組織が一体どういった事をしているのか、社会活動や実際の活動について述べるなら分かりますが、中身のないレッテル貼り、抽象論は聞くに耐えません。それは、批判の為の批判であって、理解してよって言われても困りますよ。
相手が気にくわないから攻撃してしまうがこの「レッテル貼りプロセス」の特徴ですけど、それは噂話、悪口、空論と同じで、実際に合ったかどうかが疑わしいものです。
第三者から又聞きで聞くとはそういう事です。
取材や裏取りというのに信用と信頼を持てるというのは、その人物の行動と生産物ではっきり分かります。
とくに人をまず悪く言う発言をする人達というのは、自分の利害関係を一番に立ち回っている人達というのが行動、現象としてでています。これを第三者や大衆は冷静にみるべきですし、そういった意見というのはやはり極端です。
例えば高卒者は全員は頭が悪くて役立たずであるって言うようなものです。全員がそうではないですよね。だって日本の人口は1億2000万人いってその40%は4000万人は高卒者であってそれらが日本の社会を全体を支えているという構造は人口比率は上下しても変わらないわけです。
こういった全体像をしっかりと抑えて、一人一人の意見に対して何かあるなら、陰でものを言うのではなく。嫌われようが好かれようが、組織内でお互いに言い合うことをするしかない。
勿論それによって窮地に立たされるということは否応なくして起こりますが、何もなくただ合意されるような組織の方が僕は怖くて不安ですしそんな組織には入りたくありません。
だからこそ人の意見をどう受け入れるのかということ、まずは、自分にとっても相手にとっても反発があるのが大前提です。人の集団で絶対起こることだってことを受け入れて事にあたるのが重要なのではないでしょうか。
合意形成とは、期限を決めて、お互いに言い合って、最後に相違をまとめる。この単純なプロセスをすること。これらをせずにクビを切られたり、排除される組織の方が問題ではないでしょうかね。