2024/11/22 金曜日【本質】「咎めるメディアは滅びる 僕の解答」
こんにちは。お元気ですか?
今日は「幸せ」についての続きと、そこに絡むメディアの話を少しさせてください。最近、メディアのやり口って、ちょっとお笑いのネタにしたいくらいですよね。だって、本人の言い分も聞かずに勝手に断罪する。しかもそれを毎日やるんだから、もはや滑稽ですらあります。
聞かない、分からない、でも断罪!
たとえば、ニュースでよく見かける「誰かが何かをやらかしました!」みたいな報道。本人の主張や背景は一切無視で、ただただ視聴者の関心を引くためにセンセーショナルなヘッドラインを連発。いやいや、あんたたち裁判官ですか?警察ですか?ってツッコミたくなります。
これが面白いのは、メディア自身は絶対に自分たちの責任を負わないんですよ。「いや、それは情報として流しただけですから」って、冷たい態度。でも、彼らがばら撒いた「風説」がどれだけ人の人生を壊しているかなんて考えもしない。これ、実際にはとんでもなく危険なことだと思いませんか?
信無くば立たず:真摯にやらなければ崩れるだけ
ここで孔子の言葉「信無くば立たず」を思い出します。信頼がなければ、すべては崩れ去るというこの教え、まさにその通りです。まず貴方が真剣に関わる領域だけでも、真摯に向き合うことから全てが始まります。
そうしなければ人からの信頼を失います。最終的には立ち行かなくなる。これ、メディアだけでなく、僕たち個人にも言えることです。
お前、だいぶん前に哲学問はろくでもないっていってたやないかと言われるかもしれませんが、矛盾したこと言ってないです。僕は人を陥れるような価値観にスライドさせる哲学問がよくわないと言ったわけです。
人に光を魅せる。人に教えを説いた人の言葉は大切だと思うわけです。
孔子の言葉は単純で眩しいです。
何かをやるなら、本気で取り組む。それが人の信頼を得て、周りと幸せを共有するための基本じゃないですか。ところが、噂やゴシップに夢中になる人、他人を貶めて自分が優位に立とうとする人を見ると、本当に悲しくなります。
その時間、自分の有意義に使ってほしいです。
それを流布するメディアという装置はやはり、玉石混交で、光と闇という石が2つ存在するならメディアというのは闇があまり巨石すぎる。
それに無自覚で携わっているとしか思えないわけです。
無自覚の無知ほどの功罪はないです。その力を振るう。
意義と資格と覚悟も説くこともなく。小学生にナイフをもたせるような危険行為です。
ただの邪魔や利益誘導だけでやっているだけならさらにたちが悪い。
だからこそ、我々民衆はできる限りメディアが持つ2面性に本当に気をつけるべきなのです。
噂やゴシップがもたらす害悪
他人を貶める噂やゴシップで一時的に気分がよくなることがあるかもしれません。でも、それが幸せに繋がるかといえば、絶対にそんなことはありません。
なぜなら、それをやっている間に自分のエネルギーや時間を浪費し、相手だけでなく自分の元気や幸せをも奪っているからです。
例えば、あなたが楽しい計画を立てていたのに、誰かの悪口で時間を潰してしまったら? その瞬間、幸せから遠ざかっていますよね。他人の不幸を見て自分の幸福を測るような生き方では、どんなに条件が整っても本当の幸せは得られません。
噂に惑わされず、本当に大事なことに集中しよう
僕たちは、自分にとって本当に大事なこと、情熱を注ぐべきことに集中するべきです。他人を批判して足を引っ張るよりも、自分の手で何かを作り上げる方がずっと素晴らしい。他者が幸せになったら一緒になって喜ぶそれは疑いようのない価値観であってほしいのです。
幸せとは、自分だけでなく、周りの人と分かち合うことで生まれるものです。他人を傷つけたり、不信感をばら撒くことで得られるものは何もありません。だからこそ、僕たちは自分の行動を真摯に見直し、建設的で前向きなエネルギーを使うべきなんです。
では、今日の話はこの辺で。お互い、幸せでいられるような行動を積み重ねていきましょうね!それでは、またね!