- 2024/11/29金曜日【本質】「選択と覚悟の時代を生きる皆さんへ」
- 古代から近代へ、日本の信じてきたもの
- 現代が「選択を信じる」時代である理由
- 日本的な「選択」の覚悟
- 古代が祈りの時代、近代が問いの時代なら、現代は答えを出す時代だ
- 最後に:選択の覚悟が未来をつくる
2024/11/29金曜日【本質】「選択と覚悟の時代を生きる皆さんへ」
僕たちが生きるこの時代は、かつての時代とは大きく異なる。古代や中世、そして近代――それぞれの時代が信じたもの、重んじた価値観があったけれど、日本の文脈で振り返ってみると、それはどれも「何を信じるか」を問い続けてきた歴史だったと思う。そして今、僕たちはその「何を信じるか」を、個々が選び取る覚悟を求められる時代を生きている。
古代から近代へ、日本の信じてきたもの
古代や中世の日本では、自然そのものが神であり、神話や仏教、道教などを通じて、目に見えない力を信じる文化が根付いていた。
「お天道様が見ている」という言葉があるように、日々の行いを天に委ねながら、人々は自然と共存し、生きるための知恵を積み重ねてきた時代だ。神仏を敬い、社会の秩序や人と人との繋がりを重視してきた。
一方、近代に入ると、日本は「富国強兵」という国家の理想のもと、急速に科学や技術を取り入れた。西洋の合理性を受け入れ、人間の知恵や努力が国を発展させるという信念が広がった。
産業革命や教育制度の普及、経済の発展を通じて、人々は「自分たちの力で未来を切り拓く」ことを信じるようになったんだ。
でも、これらの変化は必ずしも全てを解決してくれたわけじゃない。むしろ、戦争や環境破壊、格差の問題など、近代が解決しきれなかった課題が顕在化して、僕たちはその「問いの答え」を見つけなければならない時代に入った。
現代が「選択を信じる」時代である理由
僕たちの時代では、「何を信じるか」は「何を選ぶか」に変わった。情報や知識はこれまで以上に手に入るようになったけれど、それをどう使うか、何を選び取るかは自分自身の責任になっている。
でも、選択というのは簡単なことじゃない。
一つを選べば、別の何かを捨てることになる。
自分の選択が、他者や社会に影響を与え、時に犠牲を強いることもある。
そして、完全な正解なんてどこにもない。
それでも選ばなくてはいけない。それが、現代の僕たちに突きつけられている課題なんだと思う。
日本的な「選択」の覚悟
日本には「いただきます」や「ごめんなさい」という言葉がある。これらの言葉には、「自分が選んだ行動が誰かや何かに影響を与える」ことを意識する、深い感謝や反省の精神が込められていると思う。
例えば、「いただきます」という一言は、食べ物を選び、命を頂く覚悟を示している。
また、「ごめんなさい」には、自分の行為が誰かに影響を与えたことを認める心がある。これらの言葉には、日本人の中に流れる「選択の痛み」や「その結果を引き受ける覚悟」が表れている。
古代が祈りの時代、近代が問いの時代なら、現代は答えを出す時代だ
僕たちが今立たされているのは、「問い続けるだけ」ではいられない状況だ。
たとえば、気候変動。
かつては「なぜ四季があるのか?」「天候はどう変わるのか?」という問いがあり、自然を観察し祈りながら生きる時代だった。でも今は、「どう行動して未来を守るか」が問われている。
環境問題、経済格差、AIの台頭、人口減少――どれも簡単に解ける問題ではないけれど、僕たちはこの中で「どうするべきか」「どんな未来を選ぶのか」の答えを出さなければならない時代を生きている。
最後に:選択の覚悟が未来をつくる
同情と他責では、どんなことでも前に進めない。
これを読んでくれたあなたが、どんな時系列に生きているのか、どんなものを抱えているのかは僕にはわからない。でも、もしあなたが本気でやる気があるなら、心に留めてほしい。僕たちのすぐそばには、明日命が尽きるかもしれない人たち、本当に苦しんでいる人たちがいる。そのことを忘れると、きっと彼らの前で恥じ入る気持ちになる。
どんなことでも、他者を責める方が楽だ。それは間違いない。
でも、自分の人生を本当に開拓したいなら、その姿勢と決別するしかない。
自分がやれることで精一杯、知恵と体力を尽くし、「世をどう生きれば自分が生きれるのか」真剣に向き合ってほしい。どんな選択にも痛みが伴う。けれど、その痛みを引き受けてこそ、僕たちは前に進めるし、未来を切り拓くことができるんだ。
選ぶという行為こそが生きるということだ。選び、行動し、その結果を受け止める覚悟を持って生きる――それが、僕が信じている生き方だ。