2024/12/04水曜日【本質】「矛盾の中で生きるということ」
はじめに
人間は変われるのか、変われないのか。
この問いには単純な答えはなく、考えるほどに自分自身の性質や価値観が浮き彫りになってくる。
今日は自分の中にある矛盾と向き合いながら、考えたことを整理してみたい。
人間は変われるのか、変われないのか
僕がこの問いに対して思うのは、根本的な性質は変わらないということ。
好奇心が強いとか、飽き性だとか、そういう「生まれ持った基準」は変えようがない。
でも、選択や行動を変えることはできる。これが僕の答えだ。
行動を変えることで、少なくとも停滞はしない。
考える時間すらも行動の一部であり、物事のスタートを切る大切な過程だと僕は思う。
深く設定を考えるより、「とりあえず始める」ことが大事。それは聖者でも俗人でも同じだろう。
自分の性質を受け入れる
僕の強みは好奇心。弱みは超絶飽き性。
自分で認めるのは簡単ではないけれど、この特性が僕の行動を形作っている。
例えば、街に出て女性に声をかけるという行動。付き合うことが目的ではなくても、関係を築くことはできる。
その行動が欲望によるものだとしても、それもまた自分の一部だと認めている。
僕が感じるのは、嘘をつくかつかないかで、その人が理性を重視しているのか、欲望に従っているのかがわかるということ。
女性も経験上、嘘をつく人が多いと感じているけれど、それもまた女性の性質の一部だし。あくまでも僕が接した女性のいち部分の経験則でしかない。
矛盾の中に生きる
嘘をつかずに生きるなんて不可能だ。
人は矛盾の中に生きているからこそ、自分のできることをしていくしかない。
言葉だって結局は、自分を活かすための道具だ。
本当の善意を突き詰めれば、「食べない」「性を持たない」という極端な結論になるけれど、それは生き物としての性質を否定する行為だ。
争いもまた人間の性質だけれど、それを合理的にするためにルールやビジネスが生まれてきた。
この矛盾を受け入れることこそ、人間らしい在り方だと思う。
他者との視点の違い
僕がどんなに自分の性質を認識していても、他人から見た僕はまた違うだろう。
僕の行動を批判したり、否定したり、攻撃したりする人もいるだろうし、それを肯定する人もいる。
例えば、僕が2年で1000人以上の女性と関係を持った時期があったとしても、それが彼女たちを不幸にしたわけではない。
「不誠実」と決めるのは、当事者以外に権利はないと思っている。
行動と考えの共有
最終的に、僕が考えを整理するのは、自分のためでもあり、誰かの役に立てばいいと思うからだ。
僕の考えは万人受けするものではないし、理解されないことも多いだろう。
僕は僕の範囲で正直に僕の欲望と理性を開示している。
それが誰かが「何かを考えるきっかけ」になればいいと思っている。
矛盾の中で生きる自分を受け入れ、行動し続けること。
それが僕にとっての「正直」であり、前に進むための方法だ。
おわりに
この文章を読んで、少しでも共感や気づきが得られたなら、それだけで僕の考えを共有する意味があったと思う。
僕たちは矛盾を抱えながらも、それをどう活かして生きるかを考える生き物だ。
あなたはどう感じるだろうか?