2024/12/24 火曜日【本質31】 「一生懸命を嘲笑う世界に思うこと」

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2024/12/24 火曜日【本質】 「一生懸命を嘲笑う世界に思うこと」

こんにちはお元気ですか?

このところ、どうにも感じていることがあるんです。それは "若さ" だけで価値を決めたり、 "価格" を唯一の基準にして物事を測る世界が、どうにも息苦しいなと思うことです。これって、伝わりますかね?

例えば、子どもたち。子どもって一生懸命で素直ですよね。でも、それを大人がいじわるや比較、競争でねじ曲げていくのを見ると、なんだか胸が苦しくなるんです。もちろん競争そのものが悪いわけではない。ただ、それだけで全てを決めるのってどうなのかなって思うわけです。

 

価値と価格の違い

何でもかんでも「価格で値札を付ける世界」。それが合理的だと感じる人も多いでしょう。けど、それって少し言葉を強くすると "人身売買" とどう違うんだろうって感じませんか?

人間の価値って、そんな単純なものじゃないと思うんですよ。価格は一つの目安かもしれないけど、それが全てではない。たとえば、おにぎりの話をしましょう。

全部同じ形で、同じ具材、同じ大きさのおにぎりばかりが売られるようになったとしたら、確かに効率は良いかもしれない。でも、それって楽しいですか?

世の中にいろんな具材や形があるからこそ、選ぶ楽しさがある。同じ具材でも、手作りのおにぎりに感じる温かさや不格好さに価値を見出す人もいますよね。花だってそうです。色や形が綺麗だからって、その品種だけを量産するのは効率的かもしれないけど、そこにある雑多な多様性の美しさを捨てることになる。それって、何か大事なものを見失っている気がするんです。

 

合理性を突き詰めた先の世界

合理性を突き詰めていくと、人間は何を失うのか。確かに、効率化は便利で無駄を省くことは大事。でも、過剰に効率を求めてしまうと、そこに残るのは無機質で退屈な世界なのかもしれません。

たとえば、極端な話ですが、花の品種改良をし続けて、一つの完璧な花だけを残したとします。それはそれで美しいかもしれませんが、道端でふと見つけた雑草の花や、形の崩れた花が持つ自然の美しさに感動することは、もうなくなるんです。それが人間的かっていうと、なんだか違う気がするんですよ。

 

非合理が生む価値

この世には "無駄" や "非合理" があるからこそ、価値が生まれるものがあります。それは、ちょっとした寄り道や、予定外の出来事が楽しいと思える感覚に似ている。計算し尽くされたものより、どこか予測できない部分があるものの方が、人の心に響くことも多い。

一生懸命やっていることを嘲笑うような態度は、そういった価値を見逃してしまう態度でもあると思うんです。向き不向きは確かにある。でも、その一生懸命さが生み出す個性や価値を大切にしたいと僕は思います。

 

仕事での僕自身の迷いと選択

正直、僕も迷うことがあります。この合理性と非合理の間で、どう動けばいいのか。たとえば、仕事で効率化を求められる中で、自分の表現やこだわりが "非効率" とみなされることもある。でも、それを完全に捨ててしまったら、自分らしさも失うんじゃないかと怖くなるんです。

それで喧嘩することも度々起こりました。でもそれは必要不可欠ではないかって今なら感じています。一方が正しいなんて絶対にないんです。

そんな時は、Aの意見を聞いたら、必ずBの意見も聞くようにしています。一つの視点だけではなく、違う角度から物事を見直す。これって面倒な作業だけど、大事なことだと思うんです。

 

価値は違いから生まれる

最終的に思うのは、価値というのは違いから生まれるということです。同じではないからこそ、新しいものが生まれる。それは人間社会の中でも同じこと。合理的な世界に進むのは悪いことではないけれど、その中で多様性や非合理をどう残していくのか。それがこれからの課題なんじゃないでしょうか。

そんなことを考えながら、今日も自分の目の前の "価値" を見つめていきたいと思います。読んでくれて、ありがとう。