2024/12/26 木曜日【本質34】 「基準や目線――リスペクトを持つということ」

2024/12/26 木曜日【本質】 「基準や目線――リスペクトを持つということ」

こんにちは、お元気ですか?

世の中にはいい人もいれば、悪い人もいる。これは誰もがなんとなく分かってることで、わざわざ言葉にするまでもないように思えるけど、それをちゃんと考えると結構深いんだよね。

最近家族や友達と話してたのは、どうして人は誰かを簡単に "いい" "悪い" と判断してしまうのかってこと。メディアやネットニュースなんかを見てると、いかにも「これが真実だ!」っていう感じで物事が語られてるけど、実際にはそれって全体の一部でしかない。特に、派手で攻撃的なニュースなんて、それだけで全部を信じるのは危ないなって思う。

僕が特に感じるのは、現地の声や実際にその場で生きている人たちの意見を聞くことの重要性。たとえば海外の話でいえば、ルクセンブルクみたいな国では国が職を紹介してくれる仕組みがあるとか、教会が支援する文化が根付いてるとか、日本ではなかなか想像できないことが普通の基準として存在している。それを知るのは、本や記録じゃなく、実際にその国の人と話してみたからなんだよね。

 

実際の経験から見えてくるもの

だから僕は、本や知識を軽視してるわけじゃないけど、それ以上に "その時間軸で会った人" の話を重視してる。これは僕の考え方の基準のひとつかもしれない。だって、どんなに教科書的な内容が正確でも、それが実際にどう影響してるかは現場でしか分からない。

たとえば、ヨーロッパで言語交換を利用してお互いの母国語を教え合う仕組みがあることを知ったのも、海外の友人との対話からだった。これは、自分の中ではすごく新鮮な発見だったし、そんなやり方もあるんだって目が開いた感じがしたんだよね。

お金がない若者時は本当に救いのような神システムだった。

だから、僕は悪い人や悪い環境に対しても、まず「なんでそうなったんだろう?」って考えるようにしてる。ネガティブな結果が生まれる背景には、たいていその人なりの理由や、抱えきれなかった何かがあるんだろうなって。もちろん、それを擁護するわけじゃないけど、ただ批判するよりも深掘りして考えたいって思う。

 

リスペクトが基準になる

結局のところ、「リスペクト」が全てなんじゃないかなって思う。自分とは違う環境や背景を持つ人たちに対して、いきなり "自分の基準でジャッジする" んじゃなくて、「どんな考えでそこにたどり着いたんだろう?」って興味を持つこと。それが大事なんだよね。

実際、僕も完璧なわけじゃなくて、過去には自分の価値観を押し付けそうになったことはたくさんある。でも、そういうときに友達や周りの人がよくよく話してくれて、気づけた。自分の基準が全てじゃないって。

 

どんな選択をするかは自由

今の時代、どんな選択をするかは個人の自由だし、自分の方向性を決めるのは自分自身。日本的な "全体を調和させる美意識" に魅力を感じる人もいれば、アメリカ的な "個性を最大限に発揮する価値観" に共感する人もいる。それはどっちが良いとか悪いとかじゃなくて、自分がどっちに惹かれるかって話。

僕自身はどちらかというとアメリカ的な「個性」を重視する考え方かもしれないけど、日本の調和の美しさも分かるし、それぞれに学ぶべきところがあると思う。

 

他者との対話がもたらすもの

だからこそ、僕は自分の基準を持ちつつも、他人との違いを楽しむようにしてる。そうやって多様な視点を取り入れることで、自分の考えも広がるし、より豊かな人生になるんじゃないかなって。

このブログを読んでくれてるあなたも、ぜひ "リスペクト" を標準にして、自分と違う価値観を持つ人たちと向き合ってみてほしい。それはきっと、あなた自身の新しい気づきにつながるはずだから。

僕もまだまだ未熟だけど、一緒に成長していけたら嬉しいです。

それではまたね。