2025/01/01 水曜日【本質】 「人を責められるほど立派なのか?」

2025/01/01 水曜日【本質】 「人を責められるほど立派なのか?」

こんにちは、あけましておめでとうございます!新年が始まりましたね。今年最初のブログとして、少し考えてみたいテーマがあります。「人を責めること」についてです。タイトルにもあるように、そもそも、誰かを責めるほど僕たちは立派なんでしょうか?

 

知っていると理解しているは別物

よくある話ですが、人は「知っている」ことを「理解している」と勘違いすることがありますよね。SNSやニュースをちょっと見ただけで、「あの人は悪い」「こうすべきだ」と簡単にジャッジしちゃう。でも、本当のところはどうでしょう?その人の背景や、そこに至る事情をどれだけ知っているのか。

例えば、僕が好きじゃないのは、ゴシップ記事が盛り上がる風潮です。人がちょっとでも失敗すると、一瞬で手のひらを返して責め立てる。たしかに、その行為が間違いだったかもしれません。でも、それだけでその人のすべてを評価してしまうのは、どうなんでしょうね。彼らには彼らの事情があったはずです。

 

例えばの話

これをもう少し具体例で話してみます。

パパ活りりちゃん。家庭の複雑さから生きるために男性を色恋で利用した。田代まさしさん。大活躍の裏で人間関係のストレスから薬物に手を出してしまった。野球の清原さんも同様です。彼らに共通するのは人間の孤独の弱さが表に出てしまった。

彼らを無条件で擁護するわけじゃありません。でも、彼らが違ったサポートを受けていれば、違う選択をしていたかもしれない。なのに、世間はその背景を観ないで調べもせずに表面的に自分と関係ないからその日のネタとして「失敗した=終わりだ」と決めつけてしまう。その構造がどうにも好きになれないんですよね。

一方で、例えば三菱銀行の金庫から10億円を盗んで未だに捕まらない人のことは、誰もほとんど騒がない。これ、ちょっと不思議だと思いません?

こっちの方が大問題じゃないですかね。10億ですよ。何が不当かって話です。

10億あれば、いくつ新規事業やチャレンジできますかって!話です。

最低資本500万なら200本やれる金ですよ。

新規に開発や運用に挑戦できますよね。そういった前向きの捨て金になるなら理解はできます。

今何を責めるべきかっていうと、こういった三菱での事象を丁寧に事案別に正当に裁いていくことです。こういったことを恥ずかしげもせずやって逃げ得なんてゆるしちゃならんのです。この簒奪の構図。詐欺のシステムは無数にありますが、これってもう人間よりAIのが賢いのでわかりました。上手い話があったとしてもこれらの書類をPDFにして提出してください。AIで精査をかけます。って僕ならそうしますね。

これはAIの光の部分です。

騙す側に共通するのは、騙して、相手から奪うか、楽をしたいって全ての態度や行動が身体に出ます。みなさんもお互いに気をつけましょう。

もちろんいい簒奪もあります。それは既存のシステムへの挑戦とかですね。今度機会がありましたら。そのテーマもお話したいです。

 

スマホやアプリも悪じゃない

スマホやアプリの話題でも同じことが言えます。例えばスマホの使いすぎが悪い」みたいな風潮でも、それって使い方の問題じゃないですか?目的を持って、自分の興味や目標に向かって使う分には、むしろ便利なツールになる。

問題は、「流されるままに使うこと」。意識せずに時間を浪費することで、本当に大切なことを見失ってしまう。それに気づけるかどうかが大事だと思うんです。

 

最低限のリスペクトを持つということ

じゃあ、責めることや批判することがすべて悪いのかというと、そうではありません。建設的な批判や意見交換は、社会の成長や改善に不可欠です。ただし、それには最低限のルールが必要です。

 

正直でいること
相手にリスペクトを持つこと
法やガイドラインを守ること
市場を見極めること

需要と供給を把握すること

アイディアと人の欲求に直結するを提供すること

クオリティを意識すること

冠婚葬祭は相互関係を慎重もって進めること
民主主義の基本を理解すること 

(肯定も否定も出てしまってもまず対話をすること)

 

これは僕の理解で大事にしていることです。でも本質的なことだと思います。

人によっては色々な言語化があると思います。

ここで特に強調したいのが「民主主義の基本を理解すること」です。日本は一応「民主主義国家」とされていますよね。民主主義は、みんなが自由に意見を言い、選択をすることを尊重する考え方に基づいています。でも、それを建前にして好き勝手に他人を攻撃するのは、民主主義の本質を履き違えていると思います。

例えば、独裁国家ではトップが一方的に全てを決める管理型の統制が行われます。一方、民主主義は、多様な意見をもとに合意形成を目指します。この違いを理解しておかないと、「自分の意見が通らない=民主主義が機能していない」という短絡的な結論に陥りがちです。

民主主義は、多くの意見や価値観が存在する中で、あくまで「ベターな合意」を模索する仕組みです。それを忘れて、攻撃的になったり、一方的に自分の正義を押し付けたりするのは、自由の本質に反する行為です。ここを履き違えないようにしたいですね。

 

新しい年に

新年が始まりました。今年は、自分の価値観や行動をもう一度見直す時間を作ってみるのも良いかもしれません。誰かを責める前に、相手の背景や事情、そして自分自身の立場を冷静に見つめ直す。それが、より良い対話や社会を築く第一歩だと思います。

日本に住む私たちが「民主主義国家」の一員であるという誇りを持つなら、その自由を使って、他者を攻撃するのではなく、建設的な意見交換を心がけていきたいですね。

読んでいただき、ありがとうございました!今年もよろしくお願いします!