2025/01/04 土曜日【本質】 「模倣と創作について考える」
こんにちはお元気ですか?今日は模倣と創作について思うところがあるので言語化しました。
どんなことでも、誰かの影響を受けるところから始まる。最初から完全に自分だけのオリジナルを生み出せる人なんていないし、もしそんな人がいたらそれは天才を通り越して宇宙人だろう。
ピカソもゴッホも、誰かの技法や絵を模倣するところからスタートしている。これって有名な話だけど、彼らはわざわざ「これは模倣です」なんて説明していない。むしろ、その影響を受けながら自分の型を作り、最終的に『ピカソらしさ』『ゴッホらしさ』を確立したわけだ。
創作の出発点は「真似ること」
そもそも、真似ることって悪いことなのか?悪いと思われがちな理由は単純で、「他人のものを使う=盗む」という感覚があるからだと思う。でも、創作の世界では「盗む」ことはただの悪ではなく、むしろ技術の伝承に近い。
例えば、クリムゾン先生の話を知っているだろうか?今や有名なオリジナル作品を生み出しているクリエイターだけど、彼女の出発点は少年ジャンプのヒロインを描いた同人誌だった。これを善悪の軸で語るなら、当時の行動はグレーだったかもしれない。けど、その時期がなければ彼女の「型」も「スタイル」も生まれていなかったのは確かだろう。というか同人作家からプロが沢山輩出されるのは過去も現代も沢山います。其れそのものが罪だとするのなら創作に関わる分野は全て罪人になります。
僕はそんな権利は一方的だろって思う立場です。利益の追求性ではなく。あくまでもコミュニテイとして金銭があとから付いてきたものです。
もちろん。今ではそれぞれの業界においてガイドラインや法によって厳しい、優しい措置をとっているのは別れています。
原則として、こういったケースは業界側は黙認します。勿論既存のキャラクターをそのままコピーして、大量にする明らかな盗作行為は摘発されています。
個人の二次創作でそこに自分なりのオリジナル性があるのなら僕が知る事案では黙認が多い。それは業界側もこういったことをしたら企業も、創作も、ユーザーも、全てが萎縮してしまうからです。
「批判する人」と「創作する人」
模倣から始めて、自分の表現を育てていくことは自然な流れだ。しかし、その過程で「それってオリジナルじゃないよね」と外野から声を上げる人が出てくる。そういう人たちに言いたいのは、「あなたはその作品と二次創作についての文脈や価値あるものとして見て知っているのか?」ってことだ。
例えば、二次創作で合ったとしても、そこには創った作者のオリジナル性や物語、感情、関係性がのっているのかが重要です。
例えば、東方Projectの二次創作音楽原作のBGMをアレンジした楽曲が人気を博し、そこから新しいジャンルとして広がったケースとかが現代だとかなり有名な事例でいくつも同人作品が存在します。
つまり消費者にとって、作品を評価する人が存在して、その人たちが価値を感じているから対価を払ってしまうことは普通のことです。つまり、二次創作であってもその作品が売れているということは、1次創作だけではなく二次創作も必要としている人がいる証拠だ。
何が一番罪なことというのは良く知らず、創作にまつわる業界、歴史、文化、背景、法をろくに調べもせずに、印象論で知っていますって。隣の芝生は青く視えるだけであって厳密的に迷惑かけましたか? 無関係な人が「これは規範に反する」と批判するのは、どちらの作品の価値を理解しないままに声を大きくしているだけだ。
現代だとちいかわや、ホロライブの同人活動とかもがみがみいう変なやつとかがそうですね。そういった人たちにとっては全て盗作だと警察官をやる意味がわからない。とくにXとかの最悪な面はそこです。何か人がオリジナルでも模倣でも頑張っている人が吊し上げるためには血道をあげる腐ったやつらに溢れかえているのがしょうもない点です。もちろんそういう人たちの言葉というのはそもそも相手にする必要もないがそれによって創られる変な同調圧力と意地悪は幸せを産み出さないので僕はそういった人に指摘されても僻みでしょ。暇でしょ。精一杯生きてないでしょって思うだけです。秒でスルーです。
ですが、こういったことが一般的なのって僕は嫌いなので、これを読んでくれた人にはそれは普遍的ではない生産的でもないってことを言語化して伝えたかったのです。
創作に関わっている人はそんなリスクも覚悟も、100も承知でやっているし当該関係者でないのなら相手にする必要もない。
二次創作だろうが正々堂々ガイドラインに従って稼いでるやつに石投げる必要もないし、それによって業界全体が活性化してより全体が豊かになる方が100%健全です。
またその二次創作に携わってた人がいつかオリジナルがヒットしてその作品が二次創作を産み出すという好循環も起こります。
文脈を知らない批判と訴えはただのノイズ
創作の世界は、文化的な潮流や時代背景、ファンコミュニティの支えの中で発展していく。何かを「真似る」という行為は、その流れの中で自分の型を見つけるための第一歩であり、そこからオリジナルに昇華していくものだ。今一番熱い震源地はホロライブのファンアートや同人活動も、その代表例だろう。
ホロライブはファンアートを寛容に受け入れる文化がある。理由は簡単だ。それは日本の創作文化の主流をちゃんと知っているからってのもあるが、ファンの創作が新しいファンを呼び込み、ブランド全体を支える循環を作っているからだ。企業側もその循環を理解しているからこそ、ファン活動を過剰に規制しない。
しかし、それを知らない人が「商業の邪魔をしている」と騒ぎ立てたらどうなるか?本来、ファンたちが築いている関係性や文化が壊れ、コミュニティ全体が臆病になる。そして、結果的に挑戦する人や新しい作品を生む人が減り、創作界隈は停滞してしまう。
自分の「型」を見つけるために
模倣は悪いことではない。むしろ創作の基礎だ。そして、そこから「自分らしさ」を確立するプロセスが大事なんだ。だから、他人が真似ることを批判するよりも、その模倣から何を生み出そうとしているのかを見るべきだと思う。
批判が、僻みや妬みから他人がいくら稼いだとかに言っている発言というのは本当にノイズでしかない。創作側に立つのであるならばそれは無視すべき声だ。
創作の世界では、「正しいかどうか」よりも、「価値があるかどうか」が重要だ。その価値は無関係な第三者ではなく、作品を受け取った人たちが決めるものだ。
商業では稼いだが重要だが、文化や創作とかく絵にまつわるものは価値提供であってそれを金銭というので受け取るのは今の資本主義のシステムだから貨幣で受け取っているのに過ぎないわけです。勘違いしてほしくないのは、貨幣が先ではなく。あくまでも人が願望としてこういう関係性や物語、デザインが好きであるという想いによって欲しくなって買うのであるってことです。
最後に
どんな出発点でも構わない。影響を受けて、それを元に自分の表現を形にしていく。文化というのはそうやって成長していくものだ。誰もが「何かから始める」ということを忘れずにいれば、創作の世界はもっと自由で豊かになれるはずだ。
無関係な人の批判に耳を傾けすぎる必要はない。創作は、自分の表現を育てる場所だ。だから、堂々と模倣から始めて、自分だけの創作を育ててほしい。