2025/01/06 月曜日【本質】 「素直に生きる事」
こんにちは、お元気ですか?
今日は「素直に生きる事」というテーマで少し話してみようと思います。
最近、自分が感じる違和感ってなんだろうって考えていたんです。その一つが、人が知っていることと理解していることを同じにしちゃっている現象です。
たとえば、誰かが「分かった」と言う。でも、それって本当に分かったのかな?その情報を聞いて「知った」だけじゃないのかな?知っていることと、深く理解して実感してやっていることって全然違う次元の話だと思うんです。
これを言うと、よく「お前が特別だからそんなことを思うんだ」みたいに言われるんですけどね。違うんですよ。単純に自分の興味のある分野ややりたいこと以外には深く踏み込まない。それだけなんです。
自分の限界を認めるというか、手を広げすぎない努力。それが大事なんじゃないかって思います。
人生を決めるのは何を得るかじゃなくて、自分を良く知って何を捨てるかだと僕の今の考えの結論と方向性はそうですね。
俺なんて仕事のことなんて絵にまつわる領域以外は全部ちゃらんぽらんでっせ。
身の回りのことは弟に任せてるし、健康のことは友達に頼っている。全部一人でなんて出来てないから助けてもらえることはやってもらっている。
無意識に使う時間
人間が一日に処理できる情報量なんて限られています。それなのに、スマホやネットをダラダラ見ていると気づけば5時間なんてあっという間です。これが1年続くと5年で1年を浪費してる計算になるんですよね。そう考えるとゾッとします。
だから、自分の中で「ここは興味ある」「ここは切り捨てる」と、しっかり選択肢を絞るのが必要だと思うんです。それが目的意識を持って行動するってことなんじゃないかな。際限なくってなるとそれは中毒みたいになってしまいますよ。それはあまり身体によろしくないって僕は助言しますね。
花盛りの時に自分を犠牲にするなんて
それと、人生の「花盛り」とも言える時期に、自分を犠牲にしろって言われるのがすごく嫌なんです。日本はこういったバイアスの情報がひどいので僕は一切世の中のニュースは観ません。関わってくれた人の方が大事だからです。もちろん、誰かのために頑張るのは素晴らしいことですけど、それが強制したり、これはこうと当てはめてくる人達が嫌なんです。
何かやって批判も肯定もどちらもあるのが世の中なんでなら例えそれが今第三者からみたら間違えだったとしてもやるしかない。関わってくれる人を信じて、受け取ってくれるとを信じてやるしかない。それでも間違いは起きてしまう。それを無闇やたらに責めるというのは自分の人生に一生懸命じゃないのでしょう。
誰もが最後の最後で責任というのが持てないからこそ、自分の中で精一杯やるしかない。いくら言葉を尽くしたところで、貴方が怖いだろうが、不安だろうが、行動する以外に道は開けない。それで傷つく人は沢山いる。それが人生というものです。
勿論少なくすることは出来るかもしれないですが、選択することというのは本来、何かの犠牲とセットということは誰も語りたくはないんですよね。
綺麗事や、~~風でその場を取り繕って、延命やごまかしなんです。
そういった人生がいいならそれでもいい。それは貴方自身の選択肢で世には無数の考え方や生き方がある。堕落するのも素晴らしい人間らしさです。
でも、人間にはもう一つ素晴らしい側面があります。人生を謳歌し挑戦すること。それは人間しかもちえない。なにかよくわからない。執着、意識、意志という抽象的な人間だけがもつ特権です。僕の若者の定義は広いですよ20代から40代正直この年代で能動的じゃないほうがおかしいですし、もう歳だからというのは世間や人口動態が少子高齢化が多くてそこの人間の声が無駄に大きいだけです。
一つ確かに言えることは、人間は僻む、妬む、足を引っ張る。本当にしょうもないやつって滅茶苦茶いるからそれらに翻弄されるなってことです。
貴方がもし、10代、20代、30代、40代、そういった年齢でもなくてもなにか仕掛けたいやりたいと意識や目標があるならそんな声は100%無視、そういった悲観的な情報や場所には行く必要性はありません。
自分の人生は自分で切り開くのがとても自然なことで、それについてがちゃがちゃいうのはそいつが本当の努力をまだ理解してないからです。
これは本音です。嫌われることを言うのは僕も昔はそうだったって自戒と理解をしたから言えるのです。
次世代のために生きろ、犠牲になれって聞こえのいい言葉だけど、結局は他人の考えを押し付けてるだけじゃないですか。それってすごく失礼だし、押し付けられた人にだって選択の自由があるべきだと思うんです。
自分を犠牲にしろって言うより、自分を大切にして輝かせて、次世代に希望や今の世代の精一杯の答えを行動したり創ったりするほうがよっぽど健全じゃないですかね。
素直に生きるために
こうやって書いてみると、結局は自分が何を選ぶかの話になるんだなって思います。というか僕のブログはずっとその選択にまつわる事を皆に理解してもらえるようにわりかしずっと言っています。人生なんて選択の連続です。その選択肢が全部平等なんてことはないけど、その中で自分の軸を持って生きるしかない。
そして、完璧を目指す必要なんてないんです。失敗してもいい。やり直せばいい。それでも動き続けることが大事なんですよね。だから僕は、まずやってみる。そして自分の中の答えを探す。それが素直に生きるってことなんじゃないかなと思っています。
読んでくださってありがとうございました。あなたの時間が少しでも実りあるものになれば嬉しいです。