2024/9/25 水曜日「個人のずれと、世間のずれ」
貧乏くじを引くことが多いなって個人的には感じる。これは人間社会の中での立ち位置的なものの話です。
例えばこれを読んでくれるている人の年代は分かりませんが、今僕は30代で、わりとテクノロジーにまみれた世界かつ個人スキルの領域で生きてきた人間です。
そこで感じるのは、世間のずれ、これは街にでたり何か社会のサービスをを受けると分かるんですけど、そこで生きる人達というのはそんなに変化がない。
ですが、人が変わってなくても決済サービスが多様になっていたり、飲食店や娯楽の新商品や新サービスが始まったり社会の変化は突然にくる。
例えば、大須のコスプレ喫茶の文化ってわりと知られてないけど、ここ20年位で定着した新しい文化だ。これについてどうこう言いたいってわけじゃないけど。
これらはアニメや漫画文化の延長上でこういったキャラクターに成りたい=こういうキャラクターに会って楽しみたいというのが土壌として育ったから出来た文化ではありますよね。
それについて、触れているのか触れてないのか、認めるのか、認めないのかは、どのタイミングで出会ったり、触れたり、柔軟に認めたり、否定したりは人によるってところだけど、ちゃんと世の中にしっかり成立して成果がでているのならそれはちゃんと受け入れられているってことではないでしょうか?
個人的には自分より下の世代と少し違っている点ってのは、コミュニケーションの所で、まぁ僕が関わっている人間の範囲に過ぎないですけど、SNS力ってのが彼らの面白いところですね。
写真や動画をとって共有したりみせるのはいいんだけど、お仕事の話の延長線上で会話の中でLINEでメッセージ下さいってのは、動画のやりとりも分かるんだけど合理的ではあるけど余白がないんだよね。自分も利用していて何を言ってるって点ではあるけど
定例会という意味では5分だけ人と会話をするという事を設けるですけど、実際に人と対面して話すことによって得られる。観察や人物像の感覚や会話の進め方、挨拶、要件、感謝という定型も実際にやると、
僕自身も最初は戸惑ってきょどってしまったけど。
結局は慣れの問題であって、利害なく人と話すって機会と場所を、短くても増やすってのがSNS時代の共通の課題ではないですかね。
話すことがなくても、挨拶して、今日はどうよ? 今何に興味があるので、自然に会話なんていくらでも膨らむもんですよ。