2024/10/17 金曜日「お金は手段であって目的ではない」
おはようございます。元気に生きてますでしょうか?僕は元気です。
今日のテーマはタイトル通りです。民主主義で貨幣の世界に生きる我々はこのお金というものを稼いで生きていますよね。
つまるところ。貨幣という数値によって生活を支えているってことですけど。これって稼ぐ=生きる。だけど、稼ぐ=目的ではないですよね。これはとても大事なことです。
これは其々、皆が最終的に自分にとって幸福なのかって形が違うということです。
例えば、人間の動機的な観点でいえば、具体的に言えばこんなものが代表例としてあります。「好きなことを仕事にしたい。家族と一緒に穏やかな時間を過ごしたい。」
これって普通の事だと思われていますが、神のような事を言っているって思わないといけません。
これは目的が2つだし、互いに矛盾をしています。
前者と後者では、動機が攻撃的なのか、防御的なのかっという視点ですね。好きなことを仕事にしたいというのはそもそもの話。どんな小さな領域でもトップとして君臨するということです。これは強い覚悟と自己犠牲が必要です。穏やかな生活というのは捨てないと手に入りません。
逆に家族と一緒に穏やかな生活をしたいというのなら、好きなことで仕事をするは諦める必要があります。限られた時間と役割の職をついて安定が大事になってきます。
それは自分にとってなにが一番大切なのかって事をしっかり右往左往しながらでも自分と向き合って選択を考えて其々の人にとって選ばないといけないわけです。
両方を手に入れるというのはとてもとても都合のいい話であって、何かを達成するという原理原則から離れているんですね。
なにかを達成させる。原理原則は以下になります。
「選択」と「捨てる」本当に究極的な真理です。
選択をするとは
目標を達成するため無数の選択肢の中から、最適な自分にあった適正ものだけを選び取る必要があります。例えば、僕なら「データトレンドでトップの仕事をする」
捨てることの重要性
何かを選ぶことは、他の選択肢を捨てることでもある。時間やエネルギーには限りがあるからです。僕なら、「データトレンドでトップの仕事をする」意外にまつわる楽しみはすべて捨てました。
この単純だげど、強烈な選択と捨てるの原理原則はとても大切なことで、この軸を忘れていると、「お金を何のために稼いでいるのかって問題に絶対にぶち当たります。」
これは僕自身がそうだったからです。
それは根本として、自分にとっての生きるテーマ、これが自分が大前提として信じて、軸として掲げる抽象的な志というものがあるとないとでは生きている純度が違うからです。
これというのは生きていくなかでもがいて苦しんで、自己分析していくなかで「その自分の一生のテーマ(標語)を見つける」ことになります。
これに関して僕と、今読んでいる貴方とでは絶対にその大前提となる目標の答えというのは違っています。一人一人違うです。それはある人にとっては使命だったり、役割だったり、生きがいだったり、育ってることだったり、全体のものなのか、それとも個人的なものなのか、本当に多種多様だと思います。
このテーマ(標語)「貴方はどんな手段と目的の動機、自分と向き合わなければこのテーマを一文化することができません」
だからこそ、生き方というのは自分と向き合って言葉にして苦しんで、信じて選択するをして1つずつ自分という人間を理解していくというのが生き方の選択をするうえで一番大事ではないのかと僕はそう思いますよ。