「否定する人とは一つも付き合ってはならない」
こんにちは。こういう事ってあるよね。人生に置いてさ、自分が目標や意識をもったことに対して、無理だよって言う人達。
否定マインドから入る人達。僕こういう人達、嫌いで苦手なんだよね。
別にいいんだけどさ。こっちが成功した時に手の平返しで報酬求めるのちゃうくね?って思うだけどさ。
そういうのが一番ダサくて、勿論そういった瞬間に僕はそういった人から物理的に距離を置くし、めんどくさいなら引っ越してしまう。これは逃げるとかじゃなくて、生きることに対してのスタンス、それって毎日、毎日365日真剣に取り組んでいる側からすれば、リスクをとらずに生きてる側がよりほしいっておかしいって事と、リスクをとって生きる側に対してフェアじゃなくね?って思うわけさ。
例えばさ、そんな事は出来ないよって言われたとするじゃん。
いや、それは貴方が想っているだけであって、価値観と経験を押し付けてくるなよって思うのがまず1点、やっても、調べもしていないのに、何故、貴方が正解や間違いを決める権利があるのかっていうのが1点、貴方と僕の人生は一緒じゃないのでコントロールしてくるなよってのが1点こういった感じになります。
貴方が目標や決めた原則に向かってがむしゃらにやると毎日動き出し行動を積み重ねているのなら、これはとても、とても重要なことだ。
こういった事を否定する人の言う事は一つもまともに聞いてはならないし、付き合ってはならい。
人に頼ると血肉にならない
これは絶対の原則である。
でも、これはあくまでも僕の意見であり僕の原則ではあります。真剣に取り組んで、真剣に悩んで、真剣にもがいた先に到達するには自分で何とかせねばなりません。
人に頼るという事は別にいいのだが、根本的には自分からその問題や答えを導きだしていないので、血肉にはなっていないのですね。
情報や知識としては、自分の頭の中に陳列はされるけど、感覚や自分の頭の引き出しとしてすぐに取り出せるような力にはなってないはずです。
協調するというのはその先にあって、まず自分についてどの分野やどの領域なら最大限、まぁ人よりちょっとでも秀でることが出来るのかというのを色々と試して、自分の形を導き出す。そこから始めて、周りと連携するというのが大事で、連携するのが先ではなく。個人として何ができるのかを形成してからチームというのがあって組織ありきじゃないと個人的には思っています。
それは、そういった人達と、観ている視野や観ている風景というのは貴方が今やっていること凄まじい感覚で違っているはずです。それらについてまともに会話や意見の交換なんてものは成立しません。
良い悪いかではなく対話は質問ベースのコミュニケーションをとろう
リスクや挑戦を他者に相談したとき、質問ベースで話してくれる人達が重要です。
大前提として沢山失敗したこともないのに、成功なんて導きだせるなんてことはないのです。だからこそ、否定する意見を言ってきた瞬間、共有する必要はないです。
これらをしてくる人達は根本的に相手に対しての共感性と知性が低いです。否定をするということは相手が理解できないからくる反応だからです。
僕も相手が理解できないようなことがあります。そういったときは、どうしてこういう事になったの?と質問をします。否定ではなくて質問をする。
誰だって理解できないことは無数にあると思います。だからこそ良い悪いじゃなくて、素直に理解できないことは聞いて質問してみる。それによって相手はどういう意図で動いて考えているのかが分かる。
相手がどう対処しているのか質問をする。どうしてその対処や行動に至ったのか、良い悪いかではなく。まず自分と相手の違いを把握するにはこういった相互の確認作業、質問して解決するという事が僕は大事でそうやって他者と会話をしています。