2025/12/25 水曜日【本質】 『混沌と選択の時代に日本はどこへ向かう?松本人志の裁判と日本の尺度で考える』
こんにちは、お元気ですか?
最近のニュースで取り上げられた松本人志さんの裁判の話題、みなさんもどこかで目にしたんじゃないでしょうか?正直言って、僕から見たらこのニュースは"くだらない"と感じる部分が多かったです。でも、ただ"くだらない"で片付けるんじゃなく、なぜこういった話題がこれほど注目されるのか、そしてその背後にある社会の動きを考えてみたんです。
松本人志の裁判と日本の閉鎖性
まず松本人志さんが裁判を起こした背景やその後の経過を見てみると、"古い体制"の残り香を感じるんですよね。報道への憤りや、誤報に対する裁判。それ自体は正当性があって当然だと思います。ただ、注目されたのは裁判そのものよりも、「どうしてこうなったのか」という周りの反応や、松本人志さんの選択でした。
日本社会の中で、特にメディアやエンタメ界隈では、まだまだ閉鎖的なところが多いと思います。新しい挑戦をしようとする人や、現状を批判的に捉えようとする人に対して、過剰な反応が返ってくることが多い。まるで、秩序を守るための監視システムのように。
彼がやったことに対して賛否があるのは当然です。有名人だからその賛否が巨大になるに過ぎないと捉えている。だって僕の人生には1mmも関係ないでしょ。ただ、世間的には賑わってる人がいるってどんだけ井戸端会議みたいなのが日本人って好きなんだってあらため思うです。これに沢山の人が注目するってことはそれだけ同じような男性の本能的な権威、注目を持ちたいって人が目立つってのが僕の観察と推察です。
僕が彼をネタにしてブログにするのもそういった趣旨がないわけでもない。だって書くなら読まれたいってのが普通ですからね。
混沌の時代に選択が求められる
今、僕たちが生きている時代って、まさに"混沌の時代"だと思うんです。情報は瞬時に届くけど、それが正しいのか間違っているのかを判断する余裕もなく、右往左往する人が増えている。そういう時代に必要なのは、自分自身で考えて判断する選択をする力だと思います。
情報に振り回されるのではなく、自分で見て、聞いて、考える。そして、その行動や選択の責任を引き受ける覚悟を持つこと。これが本当の意味で"自由"を手にするための大前提じゃないかなって思います。
日本という尺度から抜け出す必要性
今の日本って、何かにつけて「こうあるべき」という枠組みが強すぎる気がします。もちろん、文化的な背景や歴史を否定するつもりは全然ないんです。ただ、その枠があることで、たとえば他国では当たり前に受け入れられる変化や挑戦が、日本ではまるで異端のように扱われる。これは時代の流れに逆行しているように感じてしまいます。
特に若い世代が挑戦しようとすると、「そんなの無理だよ」とか、「これまで通りのやり方がいいんだよ」と言われることが多い。でも、そんなこと言ってたら何も変わらないじゃないですか。まぁそんな事言ったところ新しい世代は勝手に集まって仕掛けていくっていうのは変わらない。
僕は保守的なやつってクソほど興味わかないですよね。面白いって本音のなかにしか存在しないんです。違っているやつが集まって面白い化学反応が起こる。
そこにハレーションは当然起きるけど、お互いに、これがいい、いやって俺らには言葉があるわけです。なんでコミュニケーションしねえだよ。ああ?
白黒思考とか、いい悪いで単純に判断すること危うさ。過去こういうのがあったて、わかった。わかった。でも俺と俺等の世代にその復讐心や憎しみを持ち込んでくんな。ファックって事をもって知ってほしいかなってそういうふうに感じてるやつもいんだぜ。
俺等の時代にはパソコンも、スマホも、AIも初期装備だし、例えばアジア規模で言えば韓国人だろうが中国人だろうが一緒になにかしてたりする。で、都合のいい時だけ国持ち出したり、税金納めてください。分かった収めてるけど、どんな立場や環境だろうが尊重しようぜ。なにが嫌いってそういう自分はいいけど、自分の基準で関わった他者を排斥する奴らが俺はなにより大嫌いなんだよ。
「つまり、僕の違和感ってのは、単調にあいつは敵だ認定を深く考えもせずにするやつが一番大嫌いなんだよ」
大部分は関わってればいい人が多いのにだ。この風潮が日本的な村社会にはあるから息苦しい。又は、これらの手法を意図的にとるやつはもっと嫌いだ。自分が注目を受けたいがためにいない敵を創る。それは大部分のコミュニティに対して一方的な失礼をやっているということ、多分自覚してないからそんなことができるんだろうと思いますよ。
終わりに:一人一人が選択していい
だから僕は、もっともっと一人一人が自分の選択を大事にしていいと思うんです。それが正しいとか間違ってるとか、そんなことは後から分かることだし、何より選択しないまま後悔するよりも、選択して失敗するほうがずっと健全だと思います。
それで功罪あったとしても素直に受け入れて従う。そうやって人生謳歌したほうが楽しいしつまらないなんて言っているやつは正直、お前のせいだよって最終的にはこういう言葉しかないぜ。
他者を責めるのは、お前が納得してないから。そんなものを世に振りまくな。不幸自慢とか見苦しい。そんなもんは仲間と共有してくれ。まず自分はどの方向性か悪戦苦闘して選んで、やってくれ。そうしてれば周りの雑音なんて何一つしょうもないって感想にはなるぜ。
仲間の創り方?お前が興味ある関係をもちたいところに飛び込むしかない。以上。
自分から選択しなさいってこと。
今回の松本人志さんが自分の信念に従って裁判を起こしたように、僕たちもそれぞれの場面で自分の信じる選択をしていい。たとえそれが他人にとって"くだらない"と思われても、自分が信じる道ならそれでいいじゃないですか。
興味があれば、関わればいいし、なければ離れればいい。その程度のことだと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。来年もたくさんの選択が待っていると思いますが、その一つ一つを大切にしていきましょう。