- 2024/12/25 水曜日【本質】 「自分の基準と世界の基準:選ぶ時代に僕らがどう生きるか」
- 僕がリヴァプールに共鳴する理由
- リスクを恐れずに挑戦すること
- 強さと調整役の難しさ
- 僕自身がどう生きるか
- 押し付けずに考えることの大切さ
2024/12/25 水曜日【本質】 「自分の基準と世界の基準:選ぶ時代に僕らがどう生きるか」
こんにちは、お元気ですか?
時々、ふと考えるんです。人って、どこで生まれたか、どんな文化で育ったかで、無意識に物事の捉え方や基準が決まる。日本に住んでいると—自然と「桜の花」のように周りと調和しながら美しく咲こうとする性質が、どこか染み付いている気がする。
でも、アメリカを見れば「たんぽぽ」のように、どんな過酷な状況でも個として輝こうとする強さがある。両方とも、それぞれの美しさや価値があって、どちらが正解とか間違いとか、そんな単純な話じゃないんです。
どの国に生まれたか、どんな環境にいたかっていうのは大きい。でも今は、自分で選べる時代でもある。"日本的に咲くのか、アメリカ的に輝くのか" それを自分自身で決められる。両方とったっていい。だからこそ、自分の無意識の基準や影響を 自覚する ことって大事なんだろうなって思います。
僕がリヴァプールに共鳴する理由
例えば、僕は絵志として活動しているけど、リヴァプールというサッカーチームに強く共鳴する理由も、この基準の話と繋がってくる。
リヴァプールは、"失敗しても何度でも立ち上がり、挑み続ける" 姿勢を常に見せてくれるチームです。試合で10人になろうが、逆境だろうが、そこから諦めずに戦う姿がある。直近の試合でロバートソンがリスクを取って守備に挑んで退場した時も、僕はミスとは思わなかった。
リスクを恐れずに挑戦すること
それが人間の本質だし、サポーターとして、僕はそれを全力で肯定したい。あれは挑戦だし、ナイスファイトだ。リヴァプールの試合を観ることで、僕は自分自身の姿勢を確認させられるし、背中を押されているような気持ちになる。
強さと調整役の難しさ
人間って、誰しも強さと弱さを持ち合わせている。強いリーダーが必要な時もあれば、全体のバランスを取る調整役が必要な時もある。
中東の歴史や今の混沌を見ても、それがよく分かる。あの地域では、多様な民族や宗教が絡み合っているからこそ、バラバラにならないために強い統治が必要になる。一方で、外部から「民主化だ」とか「自由だ」と言われても、それが必ずしも現地の人にとっての正解とは限らない。
外から見て正しいように思えることでも、そこには「その土地なりの基準」があって、バランスを崩すと余計に混沌を生んでしまう。それなのに、利益や権力のために無理やり干渉するヤツがいる。それが苦手なんです。税金は収めるけど僕は、一生関わらないって決めたしそうできる時代です。
どこでも「強いリーダー」と「調整役」は求められるし、その役割を担う人はめちゃくちゃ大変だと思う。だけど、調整役がいなければ全体は崩壊するし、リーダーが暴走すれば人は苦しむ。
僕自身がどう生きるか
僕は、どちらかと言えば全体を俯瞰するタイプだと思う。そして自分の範囲でできることを ありのままに整理して、共有する ことを大切にしている。
絵志として、自分の描いたものを見てもらう。それはただの自己満足じゃなくて、何かを感じ取ってもらえればいいなって思うからです。それが僕の役割だと思うし、そこに挑戦し続けたい。
「選択の時代に生きる君たちへ」何を選び、どう生きるか。それは人それぞれ自由だけど、誰かの価値観や基準に無意識に流されるんじゃなくて、自分自身の基準を知ってほしい。僕もまだ迷うし、失敗することもたくさんある。でも、立ち止まって自分と向き合うことを諦めたくはない。
押し付けずに考えることの大切さ
僕がブログを書いたり、友達と対話する理由もそこにあります。断定するのは簡単だけど、人間って矛盾もあるし、正解も一つじゃない。
「日本的な調和」か「アメリカ的な個性」か、どちらを選ぶのか。中東のように複雑な問題を前にしても、ただ一方的に批判するんじゃなくて、現実を理解しようとする姿勢が必要だと思う。
自分の立場や意見を整理して伝える。でもそれを他者に押し付けない。それが僕が目指す 「ありのままを共有する姿勢」 なんじゃないかな。
だから、このブログも読んでくれた人が、何か一つでも気づきを持ち帰ってくれたら嬉しいです。
世界は2極化できるほど単純じゃないですよ。だって一人一人違った繋がりをもっているんですから。選択肢が少ない状態ってのはあまりよくないです。
最後に、僕がいつも自分に言い聞かせていることを、ここに書いておきます。
「リスクを恐れず、ありのままに挑む。」失敗しても立ち上がればいい。それが人間の美しさであり、僕が目指す生き方です。