2024/12/27 金曜日【本質】 「失敗する前提で動くなって話と、僕が感じたこと」
失敗する前提で動くなって思うんです。それって、どういうことかと言えば、自分が何かを選択するときに、やる前から「これはうまくいかないかもしれない」とどこかで決めつけている状態。これって、恐怖と疑念が先に立ってしまっている証拠ですよね。しかも、それって結局は他者との違いを極端に恐れる日本人特有の気質なのかなと感じます。
違う個性を持っている他人がいるのは当たり前。僕もあなたも同じ人間だけど、考え方も行動も感性も違うわけじゃないですか。じゃあ、別に気にせず、自分の興味のまんまに進んだらいいんじゃないの?って思うんですよ。
正義感の押し付けと本当の対話
それなのに、例えばSNSとかで、"正義マン"みたいな人が突然現れることがありますよね。「それ、間違ってます」とか、「通報しました」とか、いきなり挨拶もなく正論をぶつけてくる。それをされると、「え、何?いきなりどうしたの?」ってなるじゃないですか。
でも、そんなのって根本的にディスリスペクトですよね。例えば、無料で何かを見ているのに、いきなり文句をつける。それがどれだけクリエイターの時間や労力を無視しているのか、考えたことあるのか?って話です。
もし本当に問題があるなら、ちゃんと通報するか、適切な手段で対応すればいい。
それに貴方は無視をする権利もあるし、反応しない権利もあるし、当該関係者なんですか?なのに、その場でいきなり「俺は正しい!」って振りかざす行為は暴力をして殴っている行為と変わりがありません。何も建設的なものがない。ただの自己満足で終わってしまう。そんなやり方では、何も進まないし、誰も幸せにならない。
創作とは何か
特に創作においては、それが顕著です。一次創作と二次創作の境界線は曖昧だけど、そこに価値や労力がかかっていることは事実。オリジナルに影響を受けて改良したり、再構成したりすることで、新たな価値を生み出しているわけです。それを理解せず、ただ「これはダメだ」と言うのは、創作そのもののプロセスや本質を軽視しているとしか思えません。
僕が絵師として活動している理由は、「自分が伝えたいもの、共有したいものがある」からです。それを形にしていく過程が大事で、結果だけが目的じゃない。絵を描くことは、自分の想いを形にして、他者に届ける手段。そのプロセスを省いて結果ばかりを求めるのは、本当に創作を理解しているとは言えません。
人との対話の大切さ
僕はメディアや報道をあまり見なくなったのも、こういった価値観の違いが原因の一つです。他者との関係性や対話を大切にしたいからこそ、自分の目や耳、そして行動を通じて得た情報に価値を置くようになりました。もちろん、ネットやメディアがすべて悪いとは思っていません。ただ、一方的な発信や攻撃的なコメントを目にするたびに、「これって何のためにやってるんだろう?」と疑問に感じてしまうんです。
本当に大切なのは、対話の基本を忘れないこと。挨拶、要件、会話、感謝、間違ったら謝る、誠実なコミュニケーション。それができれば、たとえ意見が違いや生き方がずれても、お互いに尊重し合うことができます。僕も完璧ではないけど、そうありたいと常に思っています。
いきなり挨拶抜きにして、要件や感情的に話されても困るでしょ。それってどんな人でも失礼だと思いませんか? 人として標準は身につけましょうよって話です。
失敗も創作もすべては学び
失敗すること自体は悪いことじゃない。むしろ、それを通じて学び、次にどう活かすかが重要なんです。だから、失敗することを恐れて動けなくなるくらいなら、まずは動いてみる。そこで得た経験を次に繋げていくことが、本当の意味での成長だと思います。
僕も失敗だらけです。でも、その失敗を通じて自分を知り、他者を理解し、少しずつ成長している。それが絵師としての活動にも、友人との関係にも繋がっています。
最後に
僕たちは皆、違う価値観や考え方を持っている。それを否定し合うのではなく、お互いに尊重し、学び合うことで、もっと豊かな人生を送れるんじゃないでしょうか。創作も、対話も、人生そのものも、すべては「共有」のためにある。だからこそ、僕はこれからも自分の想いを形にし、共有していきたいと思っています。